「当邨山方ニ御座候」とあるように、村の七〇%以上の山をもって周らせている村の先祖は、山に依存して山国の生活をしながら代々生き継いできたのである。近世苗木藩が成立してからは、幕藩体制のもと山地の領有は、本来藩の支配するところとなるのである。しかし、実際には、農民の山林利用は、中世と変わることなく日常続けられていたものと考えられる。領主側の山林支配については、木曽・裏木曽一帯が徳川尾張藩の山林政策を重視した地方だけに、苗木藩としても尾張藩以外の山林、なかんづく立木利用は財政上重要な財源としてきびしい山林政策をとることとなった。