福岡村の問屋は飛騨屋にあって運輸業を営み、馬方荷物の中継をした。黒瀬街道筋の問屋は代々苗木藩の御用を勤め、江戸廻米の輸送・中継ぎを営んでいた。苗木藩では黒瀬・飛騨両街道の人馬継立賃銭を決めていた。馬には、本馬(ほんま)と軽尻(からじり)の別があった。本馬は一駄四〇貫(一五〇kg)の荷を着け本荷とも呼んだ。軽尻は荷なしで人を乗せた馬のことだが、荷ならば、二〇貫まで軽尻の扱いとした。寛文五年(一六六五)苗木藩の定めた駄賃は、一里につき本馬四八文・軽尻三二文・人足二四文である。この基準は「軽尻本馬の三ツ割二分、人足本馬の二ツ割一分」で、今の三分の二であり二分の一のことである。当時幕府が定めていた中山道「元賃銭」[公定駄賃]の、本馬四二文に比べると六文高いが、そのぶん、領内の道路事情が斟酌されたのであろう。なお人足の持つ挟箱[着物・用具を中に入れ、人足が棒をとおして担いだ箱]は、一荷四貫匁と定められていた。この基準で「苗木領内道法並駄賃帳」が作られ、領内に示達されていた[史料編 三六〇]。
左に寛政一〇年(一七九八)の関係分を掲げる。
▲ | 一、上地船場より上町辻迄 | 拾六町三拾間 | 本馬弐拾弐文 | 軽尻拾五文 |
一、上町辻より高山知原迄 | 三拾四町半 | 本馬四拾六文 | 軽尻三拾壱文 | |
一、高山より毛呂窪迄 | 弐里四拾八間 | 本馬百壱文 | 軽尻六拾五文 | |
一、高山より蛭川庄屋迄 | 壱里拾三町 | 本馬六拾五文 | 軽尻四拾三文 | |
一、上地渡より福岡迄 | 弐里七町半 | 本馬百拾文 | 軽尻七拾文 | |
一、上地より日比野迄 | 三拾四町半 | 本馬四拾六文 | 軽尻三拾壱文 | |
一、日比野より福岡迄 | 壱里九町 | 本馬六拾文 | 軽尻四拾文 | |
一、福岡より下野迄 | 三拾三町弐拾四間 | 本馬四拾五文 | 軽尻三拾文 | |
一、福岡より上野迄 | 壱里六町弐拾間 | 本馬五拾六文 | 軽尻三拾八文 | |
一、福岡より高山迄 | 三拾弐町五拾六間 | 本馬四拾四文 | 軽尻弐拾九文 | |
一、下野より田瀬迄 | 三拾壱町九間 | 本馬四拾弐文 | 軽尻廿八文 | |
一、右村庄屋より右村問屋迄 | 壱里 | 本馬四拾八文 | 軽尻三拾弐文 | |
一、田瀬より上野迄 | 壱里弐拾九間 | 本馬四拾九文 | 軽尻三拾三文 | |
一、田瀬問屋より付知問屋迄 | 弐里 | 本馬百文 | 軽尻六拾四文 | |
一、田瀬庄屋より付知問屋迄 | 弐里四町五拾壱間 | 本馬百六文 | 軽尻六拾八文 | |
一、上地渡より付知問屋迄 | 六里ト三間 | 本馬三百七文 | 軽尻弐百四文 |