米価

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武家社会のしくみは、すべてを米に換算して、武士の格づけも米の量すなわち、禄高で示した。年貢は幕藩体制の基盤であり、経済を支えたのが米である。したがって米価は時代を測る一つの尺度ともなる。年貢米を金納する場合、その換算率として金一両につき米何斗何升というように藩「御直(ね)段」があり、村の御倉米払立てには、さらにこれより廉(やす)い「村値段」といわれるものがあった。
 苗木藩の米価の決め方は、木曽福島・中津川・駒場・坂下・飛騨高山町の蔵米値段の平均をもって定めているが、年代的にはいつからか判然としない。また、もちろん一年のうちでも春夏秋冬により、あるいは況・不況によって一様ではなかったがその基準は、毎年一一月の年貢収納期における蔵米値段をもって初値段としている。
 次の表は岐阜県史通史編所載「苗木遠山文書」の「御直段覚」による苗木御蔵米値段の変遷である。
 この表を概括的にみると、元文二年を境にしてそれ以前は廉く、それ以後高くなっているが、この変遷が直接物価の動向に影響があったか判り知ることはできない。

表17 苗木御蔵米値段

(一両ニ付)