徳川家康は関ヶ原戦が終ると、それまで豊臣秀吉の蔵入地となっていた木曽を蔵入地として確保し、山村道祐を木曽代官に任用した。
木曽谷中代官之儀被仰付候并木材等之儀木曽川、飛弾(驒)河共如石川備前仕候時可申付候也
慶長五年十月二日 朱印(家康) 大久保十兵衛奉之
山村道祐
右のように木曽の山林資源と木材の輸送に関する木曽川・飛驒川の一元支配を要任したのは、秀吉の代官石川備前守の支配していたときのとおり、秀吉時代の踏襲である。
木曽代官に山村氏任命される