慶長六年二月三日付の知行目録の「御知行書立の右わけ」の最後の三二〇〇石は主として山村・千村の同心「関東八騎衆」に分与されたものである。木曽家伝集(山村良安(たかやす)篇)「千村氏并九人記」によれば、元は甲州武田の臣であったが、勝頼の代に浪人し木曽義昌を頼ってきたので、新参者と名付召使われていたが、義利の代に浪人し山村・千村に随い木曽攻略の際に戦功を立て、山村良勝・千村良重組として知行を分け与えられた。これを関東八騎という。
山村甚兵衛組―押田六左衛門二百石、川合長左衛門百五十石、原清右衛門三百石、原三斉百石。
千村平右衛門組―久野伊賀二百石、小幡外記百五十石、牧野三郎右衛門百五十石、渡辺金右衛門百五十石。