名古屋城築城は慶長一四年に決まり、木曽山、裏木曽山より築用材の搬出が命ぜられた。裏木曽川上村の庄屋文書の覚書に長振山から名古屋城用材伐出しをした記事がある。翌一五年正月九日豊臣恩顧の西国大名加藤清正ら二〇名が助役を命ぜられ普請始めを行った。城郭は本丸、二の丸、三の丸、御深井丸よりなり、天主閣は五重五階、穴蔵一階、屋根は二重以上を銅瓦ふき、大棟に金の鯱を飾り、同一九年にはほぼ完成した。城郭面積二三万余坪に及び、諸機構が完成するまでには少なくとも一〇万石以上の用材を必要としたと推量されている。これらの木材は主として木曽、裏木曽山から採材されたとみられるが、まとまった記録はないといわれる。
名古屋城