三代 徳川綱誠(つななり)  幼名五郎太 初名綱義

411 ~ 412 / 667ページ
 承応元年八月二日光友の長子として、江戸市ヶ谷尾張藩邸に生まれる。明暦三年四月五日初登城、元服して将軍綱吉の一字を授けられ綱義と改める。寛文三年一二月二七日権中将に任ぜられ従三位に叙せられる。延宝八年七月朔日綱誠に改める。元禄六年四月二五日封を継ぐ。同年一二月朔日権中納言に任ぜられる。元禄六年馬籠宿へ二五両御救金下され、また三〇両の拝借を許可された。綱誠の治世は六年余りと短く特記すべきものはないが、文教に意を用い元禄七年松井甫水、並河魯山に命じて祖父義直の言行録を撰ばしめ、同一一年横井時庸らに命じて尾張風土記を編纂せしめた。元禄一二年六月五日江戸市ヶ谷の藩邸に没す。享年四八歳。法号泰心院殿。建中寺に葬る。