元禄二年九月一七日三代綱誠の第一〇子として江戸市ヶ谷下屋敷に生まれる。同八年八月二五日将軍綱吉に対顔同年一二月四日元服、綱吉の一字を授けられて吉通と改むる。同年七月一一日封を継ぐ。同年八月一三日右近衛権中将に任ぜられ、従三位に叙せられる。宝永元年一一月二八日権中納言に任ぜられる。
吉通は幼少より武術・兵学を習い、また常に神道、儒教、国学を修め、藩ぺいの本義を誤ることがなかった。
正徳三年七月二六日江戸市ヶ谷下屋敷に没す。享年二五歳。法号円覚院殿。建中寺に葬る。
四代 徳川吉通(よしみち) 幼名藪太郎 吉太郎 五郎太