九代 徳川宗睦(むねちか)  幼名熊五郎

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 享保一八年九月二〇日宗勝の第二子として江戸四ッ谷邸に生まれる。寛保二年一二月四日将軍吉宗の一字をうけ宗睦と改め右兵督と称す。宝暦一一年八月封を継ぐ。天明元年三月一五日従二位に叙せられ権大納言に任ぜられる。宗睦の約四〇年にわたる治世は、政績顕著にして尾張藩中興の祖と称さる。天明三年四月父宗勝の遺志を次ぎて藩校明倫堂を興す。天明元年五月国奉行所の改革を行い藩内各地に所付代官を置いた。寛政三年木曽山林経営上の施業案がなり藩行伐木が再開された。
 寛政一一年一二月二〇日市ヶ谷下屋敷に没す。享年六七歳。法号天祥院殿。