一〇代 徳川齋朝(なりとも)  幼名愷(やす)千代

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 寛政五年八月二三日一橋刑部卿治国の第一子として一橋邸に生まれる。同八年正月二五日一橋民部郷齋敦の嫡子となる。宗睦の諸子は夭逝し嗣子がなかったので寛政一〇年四月一三日宗睦の養子となる。ここにおいて藩祖義直以来の血統は尾張家から絶えた。同一二年正月二九日封を継ぐ。文化五年一二月朔日権中納言に任ぜられる。文政一〇年八月一五日致仕す。天保二年一一月一三日権大納言に任ぜられる。同一二年正二位に叙せられる。嘉永三年三日晦日に没す。享年五八歳。法号天慈院殿。