一二代 徳川齋荘(なりたか)  幼名要之亟

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 文化七年六月一三日将軍家齋の第一一子として江戸城中に生まれる。同一〇年一二月二五日田安齊匡の養子となる。天保七年八月二一日齋匡致仕して封を継ぎ一〇万石を受く。同一〇年三月二六日田安家より転じて齊温の後を受け尾張徳川家を継ぐ。同年一二月二一日従二位に叙せられ権大納言に任ぜられる。弘化二年七月六日江戸市ヶ谷邸に没す。享年三六歳。法号大覚院。建中寺に葬る。