一五代 徳川茂徳(もちのり) 幼名鎮三郎 建重 初名義比(よしちか)

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 天保二年五月二日支藩高須藩主松平義建の第五子として江戸に生まれる。嘉永二年八月一六日兄慶勝本家尾張徳川家を継ぐをもって嫡子となる。同三年一〇月一六日高須藩主となる。
 安政五年七月一五日尾張徳川家慶勝退隠を命ぜらるによって、高須の封を転じて慶勝の封を継ぐ。同年一〇月一六日将軍家茂の一字を受け茂徳と改め、従三位に叙せられ宰相兼権中将に任ぜられる。同六年九月一日権中納言に任ぜらる。
 万延元年一〇月二五日幕命により慶勝の子元千代(後義宜)・道姫・豊姫を養い子とする。
 同年、宝暦七年以来中絶していた木曽の巡見を行い勘定奉行浅野彦五郎らを派遣する。
 文久元年一二月朔日従二位に叙され権大納言に任ぜられる。同三年九月致仕して玄同と称し、慶応元年茂栄(もちはる)と改める。同二年一二月二七日一橋家を相続し一〇万石の封を受ける。明治一七年三月七日没す。享年五四歳。