一六代 徳川義宜 幼名徳成(ながなり) 元千代

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 安政五年五月二四日慶勝の三男として尾張国に生まれる。万延元年一〇月茂徳養いて子としたが、後一橋家を継ぐに及んで復する。文久三年九月一三日六歳にて封を継ぐ。慶応三年一二月九日禁裡日華門警衛を命ぜられ、同年同月一三日これを廃して南門の警衛を命ぜられる。明治元年正月一五日また慶勝に代って禁闕を守護すべき命をうく。
 明治元年二月信濃国筑摩郡及び伊那郡の内管轄を命ぜられる。同年八月伊那郡管轄を免せられる。同二年六月一七日版籍奉還の許可を得る。同年六月一七日は名古屋藩知事に任ぜられ華族に列せられる。同三年一月三日藩知事を免ぜられる。同八年一一月二四日東京に没す。享年一八歳。