幕臣山村氏の身分は、旗本で交代寄合に組せられた。交代寄合は三〇〇〇石以上の旗本で参勤交代をする旗本をいう。寛永一一年(一六三四)三月の職務規定で旗本はすべて若年寄支配とされたが、同一五年大番および交代寄合は老中支配となり、寛文二年(一六六二)二月若年寄が再置され老中との職務分掌が定められたとき、九〇〇〇石以下の交代寄合は老中支配で、同交代ぜざる寄合は若年寄支配となり、ここに交代寄合と寄合の区別が明瞭となった。交代寄合の江戸城中の詰所は帝鑑の間・柳間に定められ、大名並みの処遇をうけた。山村氏は柳間詰であった。山村氏は参勤交代がなかった。これは関所守備の任務があったからと岐蘇古今誌は述べている。