五代 山村良忠  和三郎九郎 七郎右衛門 下記 甚兵衛

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 寛永一〇年一〇月一五日出生。寛文一〇年父良豊と同伴将軍家綱に御目見し、太刀・銀馬代献上、将軍より時服三・羽織一を拝領す。延宝八年父良豊隠居により家督を継ぐ。天和元年将軍代替りに付参府綱吉に御目見し、太刀・銀馬代・毛氈五枚並びに良豊遺物青江の刀を献上、徳松君へ太刀・銀馬代並びに良豊遺物基光の刀を献上して、将軍より時服二・羽織一拝領す。
 貞享四年、元禄一〇年と尾張藩巡見が行われたが特別な改革はなかった。
 元禄六年御免白木五〇〇〇駄は資材欠乏のため、檜小物五〇〇〇挺に切替えられ運上一挺に付金二分上納となった。
 元禄一一年幕命により木曽惣絵図を調製提出する。同年、正保二年の国絵図よりこれまで木曽筑摩郡と書上げてきたのを、筑摩郡と改めて書上げ同一五年の国絵図から木曽は信濃国筑摩郡と国籍が決定された。
 元禄六年生類憐の令に基く巣鷹無用の通牒によって巣鷹山の管理番人が略された。
 宝永二年一二月一七日没。享年七二歳。法号大昌院殿慈雲宗音大居士。興禅寺に葬る。