一〇代 山村良喬(たかてる)  初名忠二郎 式部 三郎九郎 甚兵衛 隠居三郎左衛門 号瀛(えい)翁

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 良由の兄良恭の子、宝暦九年八月二一日生。良由の男子早世して嗣子がなかったので長女たみの婿養子となる。天明二年養父良由に随って参府将軍家治に初御目見、天明八年良由命により隠居して年寄役に任用されるによって家督をうけた。寛政二年継目の御礼に参府将軍家斉に御目見した。
 文化元年九月楽宮中山道下向の節手当行届方賞されて、時服一重拝領した。
 嘉永元年齢九〇歳を迎え、藩公より祝の紅裏着と真綿三杷を下附された。
 嘉永三年一二月一〇日没。享年九二歳。法号曹渓院殿雄質宗玄大居士。興禅寺に葬る。