鉄砲用火縄について

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江戸時代の鉄砲は、火縄鉄砲である。火縄で火を点火薬につけて発射薬を誘発させて、弾丸を発射するものであった。火縄は竹・檜皮(ひわだ)の繊維、または木綿糸を縄にない、これに硝石を吸収させたものである。火縄はたばこの火付けにも用いられた。鉄砲の火縄は檜皮が最上とされたから、檜の皮剝ぎが横行し、なかにはこれを売りさばくための大量の皮剝ぎをする者があり、尾張藩では寛永の初年からこれを厳しく取締ったが跡を絶たなかった。享保の第二次林政改革を行った後は、さらに取締りを強化した。これに関連したとみられる享保一二年一〇月四日付の「鉄砲火縄之儀願候返答書」と表書の帳(山口区宮下敬三氏蔵)がある。この帳には山口村鉄砲所持二五人が、鉄砲火縄使用について回答している。それには竹火縄を使用し、檜皮火縄を用いずとする者が大半で、また檜皮火縄を使用する者も、いずれも中津川の商人から買求めていると回答している。この通達文書が見当らないので、その趣旨は定かでないが、藩が檜類の皮剝ぎを厳禁し、鉄砲火縄の必要な者には支給するから願いでるようにというものではなかったかと推量される。この返答書はいずれも檜皮の火縄使用を遠慮して回答している。帳から二、三を抜書して掲げると次のとおりである。

享保12年鉄砲火縄願返答書
(宮下敬三氏所蔵)

 鉄砲之儀ニ付檜皮之様子願候得ハ
 一拙者儀ハリやうし筒ニ而、鉄砲弐丁取仕候得共、火なわ之儀ハ竹火なわ第一に用、其故明檜之皮之火なわ用申候節も御座候得共、是ハ中津川ニて調(ととのえ)用申候                                 傳蔵印
 一私儀ハ鉄砲持来リ候得共、おどし筒ニて弐丁御座候、常々用不申折ふし、ししおどし仕候節も候得共、竹火なわニてはなし申候、檜皮之火なわ用候節ハ中津川ニて調用申候                       与右衛門印
 一私儀りやうし筒壱丁持来り候得共、火なわ之儀多く竹火なわ用申候、檜皮之火なわ用申候節も候得共、是ハ中津川辺ニてたばこ火なわなど調用申候                                   安兵衛印
 一私儀鉄砲弐丁持来り候得共、火なわ等竹火なわ調用申候、明檜之皮之火なわ之儀一円用不申候   勘右衛門印