山口村の下代官

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「県史資料編巻六木曽地方」に、木曽の下代官の名前書がある。この名前書は木曽が尾張藩領になった直後の元和四年から享保九年下代官廃止まで記されているが、山村氏の下代官は山村氏が木曽代官になった慶長五年当初から任命されていたように思える。山口村諏訪神社に慶長一六年(一六一一)の棟札がある。この棟札は諏訪神社創建時のもので、「大旦那松井善右衛門」の名がある。そして以降の同社札には代官松井善右衛門と記載されている。山口村の下代官を一覧にすると第2表のようになる。
(表)第2表 山口村下代官表
 山口村の下代官は始めから松井善右衛門が勤めていたようにみえるが、慶長二年に致仕まで四九年間となるからあるいは父子であったとも思われるが、その記録はない。松井善右衛門が退職して二年間は庄屋が職務を代行し、翌承応元年から広野半右衛門が勤め三〇年後の天和二年に廃止になって、福島役所の勘定所扱になった。享保九年検地奉行に提出した報告書に「御下官は御座なく候」とある。