木曽の検地に派遣された検地役人は普請奉行大村源兵衛・勘定奉行元方成田庄右衛門・大代官小沢忠右衛門、郡奉行・三ヵ村代官市川甚左衛門、上松奉行戸田八左衛門・五十人御目付八尾市左衛門・御側同心頭御国御用人江崎金右衛門・同堀江又四郎等、五十人御目付八尾市左衛門を差添へ、その支配人、手代に随行者を加えて二十四人であった。この一行の道中人馬継立の様子や湯舟沢村宿所の様子は、県史史料編巻六に徳川林政史研究所蔵の文書が収録されているが、山口村楯庄屋家の用要留に山口村検地の様子記録があるから、これによって記すことにする。検地役人の一行と山口村における宿所は次のとおりで、下欄の一二ヵ所に合宿した。
(表)
「右の御奉行様方、尾州より御越遊ばされ落合より直に湯舟沢村え御入遊ばされ候、」とし、湯舟沢村から山口村の検地の様子を記している。これを日順に要略して掲げると次のようである。
三月一九日検地役人八ツ時(後二時)湯舟沢到着、直に検地に着手、晩までに三分一位終る。
二〇日同村検地
二一日夜山口村庄屋外垣半三郎、楯藤十郎両名、湯舟沢村の検地奉行方の宿所を残らず伺い挨拶して、検地の要領を承り帰る。
二二日夕方検地奉行一行は湯舟沢村より馬籠村に入り、直ぐに中のかや検地に着手。
二三日の夜山口村庄屋二人、組頭一一人、竿取一〇人馬籠宿に出頭するよう通知を受け、出頭したる所奉行様方お疲の様子にて面会出来ず、二四日朝出頭せよとのことにて帰村する。
二四日朝庄屋以下検地にたずさわる者馬籠宿に出頭し、次の者誓紙に血判をする。
庄屋半三郎・同藤十郎、組頭長六郎・孫七郎・太治郎・与惣兵衛・弥兵衛・伊左衛門・金右衛門・仁左衛門・藤兵衛の〆一一人であった。組頭の内佐兵は宿を勤めたから不参した。
竿取の者は次の一〇人で、田畑隠さず随分実躰に竿取を致すことを誓約し血判して帰った。
紋吉・太郎吉・太郎兵衛・勘十郎・助三郎・藤三郎・新八・孫市・治郎七・伝蔵の〆一〇人
二五日朝庄屋楯藤十郎は、組頭孫七郎・藤兵衛、竿取り者一〇人を召連れて馬籠宿の検地奉行の宿所へ出頭し、田畑書付帳面を提出し、奉行衆方のお供をして山口村に向かった。庄屋外垣半三郎は組頭と共に馬籠村境まで出向いてお迎えした。八人石で奉行衆は二手に別れ、切石より前野の方へは成田庄右衛門様・市川甚左衛門様・戸田八左衛門様とそれぞれの手代衆、南野の方へは大村源兵衛様・小沢忠右衛門様・堀江又四郎様・八尾市左衛門様と手代衆によって進められ、前野・南野は残らず終了した。夕方八重島にて皆々様御出会なされ、八重島かいと検地終了し、それぞれの宿へ引き取られた。江崎金右衛門様は御老人故直に境より宿へ向われた。
二六日下村残らず終了し、上村も半分終了した。
二七日上村半分と、麻生・関屋・下畑・大畑で始められた。麻生へは市川甚左衛門様・浜島平七殿御手代衆二人が御越になった。山口村の検地は全部終了した。
二八日朝奉行一行は田立村に越された。
二九日晩に庄屋両人・組頭弥次右衛門が田立村の奉行宿所へ伺い、家数・人数の書上帳面を、成田庄右衛門・小沢忠右衛門・市川甚左衛門・戸田八左衛門の四人の方に差し上げた。
四月朔日 田立村の検地が終了し奉行一行は妻籠村に御越になった。
懸念していた山口村の検地が無事に終了し、奉行衆様方一行が御機嫌よく出立されたことを見届た庄屋楯藤十郎は、検地終了の注進に昼過に福島役所に出頭した。福島役所の役人衆様残らず御寄合になって、検地の様子を詳しくお聞きになった。検地奉行衆に差上げた帳面全部の写しを提出するよう仰せ付られたから、相認めて差上げた。
検地奉行に提出した帳面は次のとおりである。
御前高御年貢米
一 九拾壱石七斗弍升八合
前々より納り来候高ハ
一 九拾四石四斗弍升三合六夕三才六毛
内四斗六升四合四夕四才ハ当村井免米ニ先規より年々被下置候
一 御免荷物五拾駄
内四拾駄半ハ御切替
拾壱駄半ハ御手形
一 惣家数八拾六軒
内小家七軒
三拾七軒ハ上村
六軒ハ下村
三拾軒ハ下山口
是ハ八重島かいと、南野かいと、大畑垣戸共に一所ニ仕リ下山口と申候
一 惣人数六百七拾壱人
内[男三百七拾壱人 女三百人]
弍百五拾壱人
内[男百三拾九人 女百拾弍人] 上村
百三拾六人
内[男六拾八人 女六拾八人] 下村
弍百八拾四人
内[男百六拾四人 女百弍拾人] 下山口
一 濃州関龍泰寺末寺
禅宗古渓山光西寺
当村ニ壱ケ寺御座候、納リ物無御座候
福島ヘ納リ物
一 柿渋四、五斗程年々
一 かち栗 隔年ニ壱斗弍升
右之通リニ御座候
但シ福島勘定所支配ニ而御座候
一 御年貢木無御座候
一 村中ニ馬百疋程御座候
一 御巣鷹出シ候儀無御座候
尤御単山も無御座候
一 当村ニ蚕之儀作時ニ候故、少々ならでは飼不甲候
糸など取申儀無御座候
一 当村ニて麻三、四貫匁程取申候
一 紙漉弍拾人御座候
紙高四、五百束程漉申候
一 去卯年馬籠宿之出人足
三千弍百四拾人程
右之通りニ御座候 以上
享保九年辰三月廿八日 庄屋 半三郎
藤十郎
三月一九日湯舟沢村から始まった検地は、二二日晩方から馬籠村に入り、中のかやから着手して二三・二四日の両日で終り、二五・二六・二七日で山口村の検地は無事に終了し、田立村から四月一日妻籠村に入り、上の村々へと進み、閏四月二三日贄川村を最後に終った。同二七日検地役人一同は妻籠村を通過して名古屋に向った。