口米(くちまい)

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本途物成の付加税である。中世には口籾(くちもみ)などといって、収納物の減損を補充するために行われたが、江戸幕府は年貢徴収にあたる代官の事務費として納入させ、代官に下付した。賦課率は地域・時代によって差異があった。木曽では豊臣時代の文禄四年(一五九五)の玉滝村下用勘定書(近世林業史の研究・所三男著)に出米・口米が記され、口米は石に付二升、出米は石に付一斗二升となっている。掲げると次のとおりである。
 
 王滝村下用勘定書
 弍拾弐石弍斗六升五合  王滝物成
  四斗四升五合三勺  右口米石二升
  弍石弍斗七升壱合三才右出米石壱斗(註 物成と口米の計に対する出米)
 
 江戸時代に入り正保二年の王滝村の年貢勘定書は、本途物成一石に付出米は一斗四升になっている。その後寛文七年一二月山口村年貢勘定書(県史史料編巻六所収)も、右と同様である。
 
 一米八拾八石九斗弍合
   米拾弍石四斗五升 右の出米石に壱斗四升宛
 
 享保九年の検地までは、石に付一斗四升であったが、検地後は口米となり本途物成一石に付三升となり、明治まで変りがなかった。口米は山村代官の手数料として下付された。