けんみほうとも読む。検見法は江戸時代の定免(じょうめん)法と並ぶ徴租法の一つであり、年々の収穫高に応じて貢租を賦課する方法である。検見は、毛見と称されたように田畑農作物の出来具合(立毛)を見分することを意味した。毛見による貢租額の決定は、室町時代にも見られたが、近世の石高制においては米穀生産量の把握という徴租制度の確立により、江戸時代に制度化された。内見・小検見・大検見の順序で行うのが原則である。まず村役人と小前百姓が、村内の一筆ごとの立毛を見分して内見帳と耕地地図を作成する。代官手代が、村方が作成したこの帳簿を参考にして小検見を行い、村内数ヵ所の坪刈を行い、五合摺の換算で、村内全体の米穀生産量を推定する。そして代官が直接に回村して坪刈を行い、小検見の結果と対照させてその年の年貢量を決定する。これを大検見という。検見取法は村方および地方(ぢかた)役人の労力・諸費用を多く必要とし、地方役人の不正や私意なども介在し、徴租法としては種々問題をもっていた。木曽の享保検地後の年貢高は小検見・大検見によって決定された。明治維新後地租改正とともに廃止された。
検見の図(徳川幕府県治要略より)