定免法

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じょうめんほうと読む。検見法が、年々の豊凶を実際に収量検査を実施して、年貢量を決定するのに対して、定免法はあらかじめ年貢量を決めておき、三年あるいは五年という一定期間、限定の年貢量を徴収するのである。その年貢量は過去五ヵ年あるいは一〇ヵ年などの平均年貢量によって算出された。本来の定免法は、定免年季中に豊作時の余剰分が凶作時の損毛分を補って、過不足が生じないという意味をもっている。定免法は、農民側にとっては検見役人の接待を始めとする諸費用の節約、検見を受ける時期の稲刈の適期を失うということがなくなること、年貢量が一定となるため計画的な農業経営や蓄積が出来る等の利点があった。木曽では慶長一八年に成立した「木曽村々成箇郷帳」に米合一六八二石五斗五合定納となっているから、早くから定免法が定着していたようである。享保九年の検地後、九年・一〇年・一一年の三ヵ年間は検見法によって年貢量が決められたが、その後はこの三ヵ年の平均年貢高をもって五ヵ年ごとの定納になっている。定納については、その都度村方から定納願が提出されている。寛延四年(一七五一)蘭村・湯舟沢村・山口村・田立村四カ村連名の定納願を掲げると次のとおりである。

乍恐奉願口上覚
 一 蘭村・湯舟沢村・山口村・田立村右四ヶ村御年貢之儀、去寅年より午年迄五ヶ年御定免ニ而御上納仕難有奉存候、此上去年迄之通当未年より亥年迄五ヶ年御定免ニ而、御検見引共ニ被仰付被下置候様ニ奉願上候、毎歳御検見被為仰付候而ハ、村方ニ而御年貢帳面仕立等旁難儀仕候間、御慈悲を以去年迄之通之御定免ニ被為仰付被置候様ニ奉願上候、右奉願上候通被為仰付被下置候ハハ難有可奉存候以上
   寛延四年                       蘭村・湯舟沢村・山口村 田立村
       未五月十三日                 庄屋・組頭連署
     御奉行所
(山口村外垣庄屋萬留帳)