検地前は竹藪は無年貢地であったが、検地の際面積が打出され運上銀が課せられるようになった。藪銀上納の村は宮越村より南部で一七ヵ村である。その総面積は七町四反一畝一六歩で運上銀の総額は一三一匁二五分である。山口村の竹藪は上藪であったようで、裏木曽川上村庄屋の記録によると天保九年江戸城西の丸の復興用材を加子母村出小路山から伐り出した際、会所小屋建築に山口村から竹材を多量に運搬している。
木曽の藪面積と運上銀を一覧表にすると次のとおりである。
(表)第12表 木曾谷中藪年貢
(木曾考続貂より)
藪年貢