くんじ役というのは、村々の下代官・庄屋に対して村民の勤める役のことである。慶長一三年五月、山村家が各村に出した置目のうちに次のようにある。
一下代・肝煎手間の事、年中に壱人にて拾人つゝ仕るべく候、以外壱人もつかわれまじく候、右のうち三人は肝入分也、是は薪・馬のくさのために候事
これによると、村民一軒で下代官に対しては年中に七人、肝煎に対しては三人の役を勤める義務があった。
また「木曽谷諸記録」には、王滝村のくんじ役の記録がある。要略すると次のとおりである。
毎年代官に勤める分
百姓本役一人に付、古来よりお定にて人夫七人ずつ年内に勤めるとし、この手間代として薪八百背負、この〆三百八十〆ずつ毎年勤めた。
毎年庄屋に勤める分
百姓本役一人に付、人夫三人ずつわりつけた。三度の食事を給した。
百姓は本役・半役・水役の三等級があり、半役の者は二ケ年に人夫三人勤め、水役は毎年一人ずつ勤めた。この人夫を「くんじ役」と唱えた。仕事は田植・干草刈・稲刈・笹刈り等に使った。後には労役に出る代りとして、一人年に三百文ずつ納めたとしている。
村々により多少の勤め方の違いはあったようであるが、一軒に付三日ずつ勤めた。
享保九年検地の際、村々の取調書には、薪・干草・生栗・麻など種々の物品の納入が書き上げられている。始めは労役を勤めることであったが、実際にはこれだけの労役は必要とせず物納に替えて勤めた。これらの物納に対し下代官からは多少の米・酒・塩などを扶持として出していたようである。