佐藤半太夫以下の巡見報告に基づき、翌五年藩政改革の一環として林政改革が施行された。この改革の要点は、一つはこれまでの管林体制と運材管理を一新したこと、二つには残された美林地帯を留山に指定して林材資源の保持を図ったことである。
(1)の改正は、これまで山村家に一任されてきた木曽山の管理を止め、これを藩直属の材木役所を新設してこれに移すと共に、同じ山村氏の飛驒川・木曽川の運材支配を廃し、錦織・牧野に新設した川並材木役所の所管に改めたことである。木曽川川並の川回り役人を二五人増員して七五人とし、川狩の際の材木の流失や盗難防止を強化した。また寛文九年に木曽北部の平沢と美濃落合滝場庚申堂に白木番所を増設して抜荷の取り締りを強化した。
(2)留山制の実施は、これまでの初期的な伐木制限を一段と強化拡大したもので、王滝山の「鰔川入り残らず」をはじめ、寛永二一年に定められた白木採取禁止林の大部分が留山に指定され、用材の採運に便利な南部の湯舟沢・田立山などその惣山が留山に編入された。同年新設の留山には、須原村の小川入りのように檜類だけの伐採を禁制したのもあるが、この例外を除き留山はすべての樹種の伐採を禁止し、一切住民の立入りを禁止した不入山林となった。