錦織川並材木奉行所

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寛文五年これまでの山村家錦織役所は廃止され、藩直轄の川並奉行所が、錦織と牧野に新設された。錦織(岐阜県加茂郡八百津町)には、江戸以前から綱場が設けられていた。家康時代から山村家が管理し久々利に住した木曽九人衆が交代で勤めていたが、寛文五年藩直轄になって山村家の役人は引き揚げた。錦織の綱場は、木曽川合渡から川狩輸送した材木を、ここで川切して筏に組み熱田湊(尾張藩貯木場)まで輸送した。
「木曽川並覚書」によると、錦織・牧野の川並材木奉行所の定員は次のようになっていた。
 ①錦織川並材木奉行所
  錦織奉行  二名(うち一名は上松奉行兼任)
  手代    六名 奉行各三名ずつ預り
  足軽   一〇名 右同各五人ずつ預り
  御役中間一二〇名
 ②牧野川並材木奉行所
  牧野奉行  一名
  手代    三名
  足軽    五名
  御中間 一二〇名
牧野川並材木奉行所は、享保一一年(一七二六)に番所に格下げとなり嘉永元年に廃止された。

木曽材木奉行所伐木山会所旗(上松町資料館蔵)

 ③白鳥材木奉行所(これは初めより藩の材木貯木場で熱田白鳥にあった。熱田湊とも呼んでいる。)
  白鳥奉行  二名
  吟味役   二名
  調役    二名
  手代人数  不定
  同心人数  不定