材木の川狩・筏輸送の管理盗木を防ぐため要所に設置された。川並番所はたびたび改廃が行われ、わからないことが多い。延宝年中(一六七三~八〇)に円城寺(笠松)、宮田(江南)、駒場(羽島)が設けられた。木曽のうちには田立と山口にあったが、改廃を繰り返している。享保以前の川並番所は木曽より川下(しも)には、牧野・土田・太田・吉田・野村・鳥組・山名・草井・小杁・宮田・大浦・駒塚・藤ケ瀬・福江・鳥地・芦渡・北方・円城寺・檜町野などにあった。享保の林政改革に伴い享保一一年五月に変動があって、吉田・野村・鳥組・山名・草井・小杁・宮田・大浦・駒塚・藤ケ瀬・福江・鳥地等の番所は廃止せられ、牧野・土田・太田・芦渡・北方・円城寺・檜町野等の番所は人員が削減された。同一八年五月に檜町野番所は出水の時危険であるとして廃止され、藤ケ瀬・神明津が増設された。このように幾たびか変動があった。幕末には田立・山口・上金・落合・上地・茄子川・大井・大久手・兼山・鵜沢・犬山・円城寺・北方・神明津・藤ケ瀬などがあった。
山口村には大川狩中出水による流木を留める杭場、揚げた材木を保管する土場や綱場があり、役人の監視小屋・人足の休憩小屋が木曽川の両岸に数か所が設置されており、山口村浜位場には山口番所が置かれていた。これらの様子を知るために大川狩についてみてみたい。