木曽山から伐り出される木材は山々から小谷狩を経て川合渡から本流を錦織まで大川狩にて管流しされる。この間盗賊等を防ぐため川並の警戒は厳重に取締りされた。享保の林政改革後は一段と厳しくなり、これを取締るため川並法度の厳守が命ぜられ、毎年村民に読み聞かせて「川並法度手形」という誓約書を提出させていた。木曽谷中御触状留所収の右手形を掲げると次のとおりである。
指上申一札之事
一木曽御山より出申候御注文御本伐御材木(注1)御太切之御儀ニ付、毎年堅被仰付山本谷々川並ニおいて壱本壱丁も盗取不申様ニと被仰付候趣奉畏候、常々老若男女共ニ堅申付相守可申候事、
一御川狩御座候節ハ、昼夜共ニ猊更申付子供など川え出、御材木ニ手をさし不申様ニ可仕旨奉畏候、将又いつに限らず右御材木流出申候ハヽ、昼夜ニかぎらず御指図次第ニ村中早速罷出水揚可仕候御事、
一商人本〆手前金(注2)ニ而仕出諸木も、御注文御本伐御材木同様ニ堅申付、右御法度之趣相守可申旨奉畏候御事、
一大水之時節流出申候御用木ハ不及申、緞枯木枝付申木ニても橋木其外御用ニ相立可申木切取申間敷候御事、
一御百姓仲間相互ニ吟味仕、若背申者御座候ハヽ、早速御注進可申上候、隠置脇よりあらわれ申候ハヽ、庄屋、組頭迄何様ニも可被仰付候御事、
一前々 被仰付候檜・椹・槇・明檜・〓子之小ひそ木壱本も切申間敷旨、此度分ケ而被 仰付奉畏候、村中申合相互ニ吟味仕壱本も切申間敷候事、
一杣日用之類所ニ罷在候刻、是ハ宿仕候者手前より右之御法度之趣申聞セ、急度相守可申候御事、
右条々少も相背申間敷候、川並御材木盗木御制禁之儀、前々より被 仰付御儀ニ候得共、年々御山も尽申候得者、御材木弥御太切ニ被 思召候間、向後御注文御材木御出シ御川狩之節ハ、庄屋・組頭其手寄り寄り村廻仕、御材木盗取不申様ニ堅可申付候、其外手前金本〆仕出シ申候諸木、惣而こつは(木端)等迄川並ニ而拾い取申間敷候旨、今度被 仰付奉畏候、村中端々迄壱人も不残申付、少も相背申間敷候、相互ニ吟味仕若御法度相背申候者御座候ハヽ早速御注進可仕候、万一右之品乍存知隠置候ハヽ御詮議之上庄屋・組頭・五人組合之者迄、何分之曲事ニも可被仰付候、為後日連判手形差上申所仍而如件、
享保十三歳申六月廿日
註1 御注文御本切御材木 伐木から運材まで一貫して上松の木曽材木奉行所が直営で行うもので、藩用材ともいう。
2 商人本〆手前金 商人が伐木から運材一切を自己資金で行うものをいう。