巣山・留山の区域を除いた山が明山で、住民の立入り自由な山である。住民は明山内において、これまでの役木の土居・榑木の谷中「御免木」をはじめ、土木用材・家作材・薪炭材・肥料用の下草・刈敷・秣(まぐさ)などの採取をしてきた。寛文の林政改革後も尾張藩は木曽山巡見を行い実情調査をし、留木の指定、年貢木の規格縮小、「御免木」の金子切替、住民の採材は自家用を原則とする制限、宝永五年檜類四樹種の停止木制定などつぎつぎに山林規制を強化していった。このため住民の明山内における用益は次第に狭められ、生活に支障を来たすようになっていった。