漆の植林

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享保九年尾張藩は、上松村原畑の木曽材木奉行に漆役所を併設して、谷中住民の生活助成に漆の植林を奨励し、漆方役人に高橋治郎蔵、西脇仙右衛門の両名を任命し、地元村漆方役に上松村の藤田九郎右衛門、岡村兵右衛門の両名を任じ、各村々を回村させて漆種蒔付・苗育成指導に当らせた。
 享保九年二月、尾張藩漆方役人高橋・西脇両人は、次の通牒(岩郷庄屋児野氏旧記)を出している。
 一筆申入候、我等共漆取扱い御用仰せ付られ候に付、追々相越諸事申談すべく候、夫に就て当年分漆蒔として、上田藤田九郎右衛門、岡村兵右衛門近々相越申すべく候、本村に百坪、枝村に四、五十坪程蒔付くべく候、枝郷の村付、左に申入候、先づ当年は右の通相心得られ候、九郎右衛門、兵右衛門日用共に今年より村々に罷り在候内手前より仕度拵え申筈候、定て委細の義は福島(山村役所)よりも申渡これあるべく候、
  一漆一巻の儀御百姓為に罷成候様にと思召に候、これによって万事村方痛これなき様に致たく候間、来月中旬我等共罷り越、委細承り申すべく候、漆苗の儀に付相知らせ、然るべき義は、九郎右衛門・兵右衛門へ、去年の通り早々相知らせ、随分生立宜き様に御心得これあるべく候以上
     享保九年二月廿六日
                                        高(橋)治郎蔵
                                        西(脇)仙右衛門
   本村は木曽の全部(三二ヵ村)
    枝村 平澤、藪原在郷、崩越村、黒沢の内 倉本村、上松在郷、須原村 上村、野尻村 前野村、広瀬村、甲府 塚野入
 右の文書によると、村では一〇〇坪、枝村では四〇坪の漆畑を作るよう申し渡し、その地は除地として奨励した。山口村の享保一三年の年貢免状に漆畑が次のように記されている。
     覚
 一反数七拾五町壱反廿歩   信州筑摩郡  山口村
  内
    壱畝拾三歩    郷蔵敷地引
    下畑壱畝九歩   未年漆種蒔付場所ニ引
    下畑三畝拾歩   申年漆種蒔付場所ニ引
 山口村では享保一二年に三九坪、翌一三年に四〇坪下畑に蒔付けをした。年貢免除地になっている。
 享保一三年三月に、村々の漆方岡村・藤田の両人が、村々の漆畑見分に回村するから、漆畑の見立場所・地主等を横帳に認め置、案内するようにと申し渡し、そのほかに左の二ヵ所を見立ておくようにと指示している。
 一殿様御用林一ヵ所
 一村中漆林一ヵ所
 これは後々田畑等これなき軽き御百姓御救いのため惣郷中林になされ候、右二ヵ所御見立漆植置候得は後修覆差に罷り成候、

享保13年の年貢免状にみる漆畑

 右以降享保度には、漆植付畑が奨励され、年々蒔付面積が増加して、草取・移植などの人夫賃も上松漆方より補助されたようである。山口村の漆畑書上帳は見当らないので、村内の様子はわからないが、その後江戸時代を通じて漆畑に関する触書が出されているので、漆・漆実とも採取されていたことがわかる。享保一三年より二五年後の宝暦三年(一七五三)から数年間の外垣諸事留帳をみると毎年のように、漆畑に関する通達が出ている。宝暦三年七月の回状には村々の漆方役人は、野尻村の徳左衛門と上松村の林左衛門になっている。回状には例年のとおり村村の漆木見分に巡村するとし、下草下刈を行い、つる草取り払い根元に寄せて肥料にするよう手当をして置く様に指示し、漆・漆実について次のように達している。
① 漆の苗を増殖し増産を図ること。
② 山漆・里漆の実は、本年はなり年に当たり、採取時期がきているから一本も取り残しのない様に採取して、集めておくこと。
③ 漆の実を採取するが役所に出さない村があるようである。他所に売るのではないかと、役所でお調べになるから他所には絶対売却しないこと。買上代金のほかに、蠟(ろう)代の利潤分を実の量に応じて加算し支給する。
④ 越前の漆かき業者が入り込む時節であるが、越前者が漆かきをすると漆木を大変に痛めるから、越前者に漆かきをさせることは堅く禁止する。漆方役所から「漆かき」を派遣して漆をかかせ、漆は木主に渡すから木曽の業者に売るも、役所の買上げに売るも木主の自由である。
 その後嘉永元年(一八四八)八月一二日付の漆方役所の回状に、谷中漆木これまで越前辺の者入り込相対値段にて買取り、漆かきをしてきたが、三尾村の作吉と申す漆かき職人に扱い方を申し付け、印札を渡しておいたから、同人が漆を買いたいと申したら売り渡すようにせよと達している(外垣諸事留帳)。
 安政六年(一八五九)二月に村々の漆植付畑の調査があり、山口村ではいつでも植付られるように畑の準備をしていると報告している。この様子からみると山口村でも享保以来漆畑を栽培していたことがわかるが、漆畑の帳簿がないので詳しいことはわからない。
 宝暦九年(一七五九)木曽材木奉行所調役寺町兵左衛門が書留した『木曽雑話』中に、木曽の産物の書上げがありそのうちに漆が次のように記されている。
 一漆の木、山漆、里漆、漆蠟
  山漆は山中に自然に生し候、里漆は苗にて植付候、其の木にて漆をかき、其の実にて蠟を〆申候、繁茂致候は村方助成にもなるべくと追々御吟味もこれあり候、勿論谷中にても漆の木相応の所もこれあり、又は不相応の所も相見へ、委細事繁多故これを省く。