江戸城の火災

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江戸城の火災は、二の丸・三の丸を含めた本丸殿舎が慶長の改造以来五度焼失、吹上郭を含めた西の丸殿舎も、文禄以来四度炎上している。そのうち幕末期の火災は左表のとおりである。このたびごとに復興材は木曽・裏木曽山から搬出されている。天保九年の西の丸復興材、同一五年の本丸の復興材は尾張藩主が献材を願い出て、良大材が搬出された。その都度幕府役人が山内の立木調べ、住民は使役に狩り出されて、藩の「御手仕出」以上に難儀をした。この様子のわかる資材は少ないが、外垣庄屋諸事留帳、大黒屋日記にわずかであるが散見される。裏木曽三ヵ村の川上村庄屋文書と合せて、その様子をみていきたいと思う。
(表)第23表 江戸城火災年表