農民支配の基調

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徳川幕府は、田畑からとれる貢租を経済的基盤とした。農民の貢租負担は、江戸時代に入って五公五民あるいは四公六民などといわれるが、藩によっても、また同一藩内であっても村ごとに租率に差異があり一定ではなかった。田畑の面積に地味に応じて定められた石盛を掛けて出した石高に免率を乗じた石数が年貢高で、これに口米、小物成等が加わると約五〇パーセント程の負担となる。東照神君の御上意『落穂集』(大日本思想全集三)と記されるものに「郷村百姓共をば死なない様に、生かさぬ様にと合点致して収納申付くる様に」というものである。幕藩体制の農民支配はこの精神を根本として貫かれていたのである。