外垣庄屋要留帳に次の食糧に関係する記事があるから掲げておく。
高山鰤(ぶり) 毎年正月前に飛驒高山から塩鰤売りが来ている。
寛政三年一二月一七日 飛州高山から塩鰤売り文蔵参り泊る。鰤三本相求め候、代三分弐朱
塩の道 山口村は中津川村から入っている。名古屋から木曽川を八百津湊まで舟で運び、馬で中津川村へきた。
寛政四年四月一〇日 仁作・亀松・馬二匹にて中津川へ塩付に参る。
栃の実ひろい 栃の実は食糧として大切で、村によっては枝一本も伐ることを禁止し、村民共同採取した場合が多い。湯舟沢村に出掛けているところをみると、山口村には栃の木はなかったろうか。
寛政四年八月七日 仁作湯舟沢へ栃拾いに参る。田口・青木の衆一所に参る。