〔農事暦〕

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 農作業の年間の行事作業を記した農事日記は、山口村・馬籠村ともにまとまったものは見当たらない。山口村には嘉永六年(一八五三)と安政四年(一八五七)の二年度の秋の作業記録を記した日記帳があり、作業名と天候が簡単に記してある。そのほかには、山口村外垣庄屋の寛政三年(一七九一)、寛政四年の「用留帳」のなかにその日の農作業名のみがある。馬籠村には文政九年以降の大黒屋日記のうちに、同様の作業名が出てくる。月日は陰暦であるので年々により差異があり、毎年の月日が時季ずれしているので、同一感覚ではその差異が対照困難である。山口と馬籠では作業日が一〇日前後のずれがある。これは気候の遅延によるものである。
 右に掲げた両帳から年間の作業月日を抽出して掲げると次のようになる。
(表)山口村(外垣庄屋留帳寛政三年から抽出)
 春から秋にかけての農事暦は、大黒屋日記のなかにも記されているが、作業は山口村と大差はない。このほか山口村八重島に嘉永六年と安政四年の秋の作業日記がある。これには作業の日数がある。稲こきに一二日を要している。当時は「千把扱き」を使用して、家族総掛りで夜なべにかけての作業労働であったが、大変な労働であったことがわかる。

嘉永6年籾挽おぼえ (嘉永6年丑秋日記帳 山口村宮下敬三蔵)

(表)山口村嘉永六年丑秋日記帳