江戸中期の木曽の産物を知るものに『尾・濃・信・江御領分産物全』(徳川林政史研究所蔵)があり、そのうち木曽の部分が『県史史料編巻六木曽』に抄出して所収されている。これの年代は定かでないが、享保年代とされている。これによると、贄川村は獣皮各種(各村から買集めたもの)、奈良川村は漆器製品各種、原野村の蚕種、薮原村お六櫛各種、王滝村細布(村誌には宝暦年間には太布近年より織出となっている)、福島村奇応丸、太布(近年より織出し売捌候)、奈川、薮原、上田、末川、王滝各村には山野に自生する茸類・食用植物各種、岩郷村の薬草各種、蘭村の檜笠・木履、田立村紙漉製品、山口村椿油・榧油が書き上げられている。このうち原野村が蚕種とあり、福島の絹糸とある。福島の絹糸は村々より繭を買集め糸を引いているとあるから中部より北部の村では養蚕をしていたことがわかる。また福島では太布を織るとあるからこれは苧(からむし)の繊維の織物と思われる。
宝暦九年六月『木曽山雑話全』(徳川林政史研究所蔵)に「一蚕飼・糸・綿、寛延年中桑苗植付させ候儀追々被仰談候、宝暦の初より蚕飼之致方一統に致し覚へ、当時村々第一の助成に相成候由」とある。