右の調査について左のとおり答申をしている。(宝暦八年外垣庄屋用留帳)
一山口村御百姓の内紙漉候者拾四、五人程御座候、尤二十ケ年以前迄は、弐拾四、五人程も御座候所、薪等多く入り候物故、無人の者は紙草にて売払い漉申さず候、右人数の内も紙草の値段高下により増減御座候
一壱人手前にて漉立候束数三拾束程より百束程迄も漉申候、但し壱束弐百八拾枚御座候、右漉候儀も漉掛り候ても紙草値段高値に罷成候得ば草にて売払い漉申さず者も御座候、下値なる年は買添漉候事も御座候故、束数等相定り候事は御座なく候、冬春耕作の間に漉申者どもに候得ば多く漉申さず候
一紙草の儀村中にて大方四百貫目程もあるべく御座候
但し干上げ候ての貫目積りに御座候
一紙草漉申さず候て売り払い候値段年年高下御座候得ば、高値なる年は干草にて金両に拾四、五貫目程、下値なる年は三拾貫目迄も仕り候
一紙草の儀御百姓助成にもなり候物故年年植候得ば、三、四年目には一株より三、四本程も出申候、七、八年程も立候得ば株痛出し十ケ年目程に株枯申候故、年年植候得共格別に増申さず候
右の通りに御座候 以上
宝暦八年寅五月 山口村庄屋両人
(福島)
御奉行所
右の報告と同内容であるが、紙木植方紙漉共助成にはなるが支障もあり、蚕とも増産は出来ないと回答している。
恐ながら口上覚
一此度紙木御尋遊ばしなされ候所、山口村の儀は先年より紙木生立村内にても、紙漉出し助成にも罷りなり申候草山の内などに植付見申候得共、生立申さず物に御座候故、畑内、畑畔等に生立申候
一蚕の儀作り方仕付候時節故、先年より多飼申さず候、少少ずつ飼候者も御座候得共、前度より出来方悪しく、殊に作り仕付の時節故、多く飼申さず候 以上
宝暦八年寅五月廿八日 山口村庄屋 半三郎
上松御役所 同 平左衛門
享保の伐木規制後の谷中困窮を救済するため、山稼に替る産業として、紙木・桑の植増を広め、紙漉・養蚕が将来有望産業として成立発展するかどうか、村の現状調査を申し渡している。延享四年困窮状況を回村調査して以来一二年を経ているが、紙漉と養蚕は一貫して奨励を続けている。先に掲げた五月の通達と重複のきらいもあるが、敢て掲げることにする。
回状をもって申し入れ候、谷中宿村共に追年御山方少に付、山稼等これなく追い追い困窮相増候儀、末末取続方覚束(おぼつか)なく気の毒に思召され、末末助成にもなるべく義はこれあるまじくや、山方の稼にて渡世送候者共は、尽山になり候得ば、耕作随分油断なく出来致候や、桑木植増蚕の儀、いよいよもって出精飼い候様、紙木も生立候村村は、畑畔は勿論人家近辺の空地にも植付候様、麦作寒気に痛候て生立申さず所には菜種・からしをも蒔試申すべく旨、其外品々吟味の儀とも十四年以前丑年村村相廻り中聞せ候処承知致候、以来いよいよ出精申すべく旨、書付をもって申送候、その後年年桑木・紙木植増、蚕も飼方相増候様に粗承り重盈(えい)の事に候、それに就いて今般尾州より桑木・紙木植増、蚕も飼方相増助成に成候哉との御尋もこれあり候、御憐愍をもって彼是仰せ付られ候御事に候得はたとへ何分の助成等出来候ても、その品に付運上等召上られ候儀は、曽ってこれなく末末取続の産業出来の儀御尋の事に候、これによって村村に相尋候条右の心得をもって村中実儀に吟味致し左のとおり書出すべく候
一紙木何千何百何拾株
但大小ニ限らず年々切り候株数
一蚕払代金何程
但これは当年の払高
一山口・湯舟沢・田立右三か村にては紙漉候、紙高・紙漉の家数書出べく候
一山際湿地にて麦寒気に痛生立申さず場所に菜種・からし蒔付候て生立試候哉否書出し申すべく候
右のとおり吟味の上書付、当日二十五日までに、村村調査、一村ごとに封候て役所宛名にいたし、山口・湯舟沢は馬籠に出し、馬籠より一緒に妻籠に送り、妻籠にては蘭より出候書付請取三留野え一緒に送り候様に右のとおりに宿村相送り候得ば七里にて相済候
(宝暦八)
寅六月十一日 福島地方役所
右の調査に対して山口村は次のように報告をしている。
覚
一紙木弐万百八拾六株
但大小共ニ去年までに切候株
一蚕売払代銭拾五貫弐拾八文
但壱軒にて金子取候者は御座なく候
一紙漉候家数拾五軒
但去冬より当春まで漉候者
一紙漉高七百束程
但壱束弐百八拾枚去冬より当春まで漉候分
一菜種からしの儀蒔付候場所も御座なく、蒔付申さず候
右の通りに御座候 以上
宝暦八年寅六月 山口村庄屋両人