藩は木曽山伐木停止後の山稼ぎ失業者の対策として、延享四年谷中村の実情調査に基き、木曽谷中の実情に即した紙木の植増し、漆木の植林、桑を植え蚕を飼うことを基本的産業として、奨励して来た。宝暦三年以来紙木と桑の植増については、特に力を入れ助成第一の産業としてその発展に力を注いで督励してきたが、農地を基盤とするものであり、他の従来の農作物や労働力との関係、技術的な面などあり、一挙に切替増産することには種々の障害や労働力の不足など伴い、農民のとまどいもあり、役所の考えとは開きがあり、計画どおりにはいかなかった。藩が失業対策を打ち出した延享四年から三三年を経た安永九年七月、紙漉・養蚕について、生産物の技術面について先進国の技術導入をして一層の製品向上を図るため努力するよう次の通達を出し督励している。
覚
木曽御山の儀御用材は格別、其外は御停止に相成べく哉の趣に相聞候、御山方の御蔭を以って家業に致し来り候者共、右潤を以って渡世営候者共は難儀及ぶべく候間、先年も申渡候通楮・桑共植付蚕飼等出精渡世営候、覚悟致すべく候
一栗木元伐の儀は停止に申渡候、右木実なり候年は格別の扶食にも相成候間、先年申渡候通小木に至るまで一切伐取申まじく候
一蚕飼の儀近年は出精せしめ候村もこれあり、余程出来の由に候、繭の儘にて売り払い候ては、格別の助成にも相ならず事に候、糸に引き絹縮緬に織出候はば夫だけの潤にも相成るべく事に候、美濃・岐阜周辺より織(おり)人相頼習い請候はは、木曽内の者共も追年に馴いたし申すべく事に候、当村は織屋を相定置織らせ試し候方然るべく哉の事
一楮の儀追い追い植付余程出来の由、田立・山口・湯舟沢にて紙に漉候得共、そのほかは、楮にて売払い候由、残らず紙にすき出し候はば、潤に相成るべく事に候、美濃辺より紙漉候者相頼習い請け候はば、連連は面面にて漉候事も相成るべく哉の事
一瀬戸物の儀、先年荻原村にて誠に焼候処、薬鮮用立申さず由に候、外村村焼物に相成るべく土これなく哉、よろしき細工人頼焼出候はは、用立申すべく哉の事
一新田切起の儀去亥年(安永八)より御領分中御停止仰せ出され候得は、相願候ても相済申し間敷哉に候得共、御山方相止候ては、外に外に家業もこれなく難儀至極の村方は格別の御吟味にて相済間敷ものにもこれなく候間新田切起の場所もこれあり相願度筋もこれあり候はは申達すべく候
右の趣并其の外何事によらず、末末家業に相成る品存じ付これあり候はは申達すべく候、其品によりては御時節柄の御事には候得共、相応に拝借願等も取揚申すべく達候、尤右の趣は御山方弥相止候はは、難儀なすべく事に付、役所勘弁内内相尋候事ニ候間、其心得にて相調一村切に目論申趣申達すべく候