養蚕業発展経緯

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我が国の養蚕は古く奈良時代から伝えられていた業であったと考えられてきた。しかし一七世紀末までは、京都の西陣そのほかの高級織物は、中国から輸入の白糸を用いており、我が国の養蚕や製糸の技術はさほど高くはなかった。近世の養蚕業の発展に刺激を与えたのは、国産生糸の需要を増大させた貞享二年(一六八五)幕府の強力な「白糸輸入制限」と、諸藩の財政に資するための奨励策があった。木曽でも前に掲げた享保年代の『木曽産物書上』に福島村の産物は絹糸になっており、繭は近辺村から買い集めたものと記されている。水田作のない中北部の村では、零細ながら蚕飼をしていたことがわかる。享保の林政改革の徹底した伐木規制により、山稼がなくなり村は困窮した。藩ではこれらの村救済のため、漆・紙木・桑を植えこれら産業の振興を図った。江戸中期以降には、糸質の向上や強健な蚕をめざして多くの品種が生み出された。信州(北信)・上州・陸奥・越中などの蚕種業者が各地の種を売り歩いた。江戸期には養蚕は農業の副業として零細的な規模で行われた。安政六年(一八五九)の開港によって生糸の輸出の開始は、養蚕業の飛躍的な発展をもたらした。明治四年(一八七一)の田畑勝手作りの許可は、その傾向に拍車をかけて畑に桑を植え本格的な養蚕業の発展をみた。