薬草

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『長野県史史料篇』(巻六木曽)に「享保年中谷中村々産物書上」がある。そのなかから薬草類を拾い上げてみると、福島村に奇応丸、原野村百合根、上田村おばこの実、末川村ふどふははき、岩郷村桔梗・野菊花・南天星・白芍薬などがある。これらは生薬に類するものであるが、福島村の奇応丸は丸薬で食中毒、霍乱(かくらん)等に効があるという。現在この薬を調製している高瀬家の五代居達が、寛政一二年(一八〇〇)に書残した遺言に、次の奇応丸に関する事項がある(『木曽福島町史』所収)。
 ―右くすりの儀は我等祖父様江戸に御座候節御調合候様、凡百四、五十年以前より伝来候、此の丸薬のおかげを以て身上取続き暮し申候
 右によると、寛政一二年におよそ「百四、五十年前」とあるから、江戸初期の慶安(一六四八~)年間ころより先祖の一人が調製していたといっている。山村代官家では「御手合せ」といって、山村家でも調製していて自家の薬料に供するだけでなく、家臣の病者にも下付されたが、後にはその調製を家臣のある者に命じ、「御手合せ」と称する山村家の需要分は山村家に納入させたようである。奇応丸がだんだんと名声を博して、その需要が多くなるに従って、家中の者の内職として数家の者に許可されたようである。