江戸幕府は街道の整備の一環として慶長九年(一六〇四)、諸街道に並木を植えさせ、以来幕末に至るまでこの手入れが続けられていた。並木にはほとんど松の木が用いられていた。しかし木曽の宿々には並木はなかったようで、この間の様子を「中山道宿村大概帳」にはつぎのように記されている。
「此宿往還両側飛々家並ニ而其余尾州領林山々也 木曽路之内都而並木無之…」
つまり木曽の往還の両側の家は飛び飛びに点在しているうえ、尾張藩の山々である、として、自然環境にすぐれているので並木の必要がないというのである。
並木