一里塚

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並木とともに街道の整備のために作ったものに一里塚がある。一里を三六町と定め一里ごとに道の両側に土を盛った塚を築いて旅の行程や駄賃運賃の目安とした。塚の上には榎又は松の木を植えてその目印にしたが、木の植えてないものもあった。一里塚の大きさは「方五間」というから約一〇メートル四方で、下部は石積をして土盛りの崩れを防いでいた。嘉永二年(一八四九)の峠部落町並絵図によると、峠の薬師橋のたもとから妻籠側に一七間ほど寄った道の両側にあり、この塚には「木は植えて無い」とある。
 中津川市との境の新茶屋に一つが現存しているが、中山道宿村大概帳によると「左右之塚共落合宿地内」と記されている。当時は道を挟んで両側にあり、左の塚には木はなかったが右の塚には松が植えられていた。