宿場の経済は問屋場に関するものと宿場自体の運営に関するものとに分けることができる。
問屋場の交通事務の中には、公の交通機関としての事務による会計と民間の交通・荷物の輸送等による問屋自身の経理とがある。本来公の交通事務に関する経済は宿村自体の経営には直接の関係はないはずのものであるが、宿場そのものが公の交通のために置かれたものである以上、実際には宿場経済に重要な関係があり、問屋場の経済と宿場自体の経済とを厳密に区別できない場合が多い。
馬籠宿 宿勘定仕訳帳(慶応二年 但七ケ年平均)
(表)
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(表)借入金
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前頁の表は幕末における馬籠村の収支勘定である。慶応二年(一八六六)に書き上げたもので、過去七ヶ年の平均の数値であるが、これは問屋場、宿場自体、及び在郷の経費を区別しないで書き上げたものである(徳川義親「木曽の村方の研究」)。
なお馬籠村の村勢は、万延元年(一八六〇)の調べでは、戸数一七八軒、人口約八二六人、年貢は米六〇石六斗七升一合、新田年貢は二八石三斗八升九合である。