大名等の休泊

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中山道の通行はなかなか頻繁で参勤交代の西国大名三十四家の指定路であり、尾州侯の参府は中山道であった。このほか大坂二条城番・日光例幣使などは片道は必ず中山道を利用した。また、皇女、親王家姫宮の降嫁の節の道筋はほとんど中山道を利用しており、和宮の将軍家降嫁の際の大通行はその著名な例である。和宮の通行などの大通行は別として、諸大名その他の人達が本陣を利用する回数は、多い時は月十数回に達する宿場もあったが、馬籠宿の利用は比較的少なかった。
 木曽谷通行は普通二泊三日といわれているが、元文二年(一七三七)から延享三年(一七四六)の九年間に木曽十一宿を利用した大名その他の宿泊状況は次のとおりである(木曽福島町史)。
(表)大名その他宿泊状況統計
 このほか馬籠宿を利用した姫君の行列では、寛延二年(一七四九)三月、閑院宮直仁親王の王女・五十宮が十代将軍家治の室として江戸に下るとき馬籠宿に宿泊した。また文化元年(一八〇四)九月、有栖川宮熾仁親王の王女・楽宮が十二代将軍家慶の室として、また文久元年(一八六一)一一月一日、孝明天皇の妹・和宮が十四代将軍家茂に御降嫁の際馬籠宿に小休された。