旅人は理由もなく逗留することは許されず、一泊が原則だった。延宝二年(一六七四)一一月の道中奉行からの「宿心得回状写」によれば、次のようである。
一 旅人二夜共泊り候ハゞ町中相改慥ニ無之者一切留置申間敷候 縦所之者たりといふ共不見届者庄や五人組寄合相改慥ニ承届指置可申候 若隠置悪事出来候ハゞ庄屋五人組迄可為曲事之事(古来入用書付留帳)
このように旅人の身元を村役人がたしかめることから、特に一人旅の客の受け入れを喜ばぬ宿屋がでるようになった。このため一人旅の者にとっては極めて不便な世相になって来たことから、貞享四年(一六八七)七月、道中奉行から一人旅にも宿泊させるようにとの觸が出された。
…壱人旅に宿借シ自然六ケ敷儀も有之候得は如何と存吟味不仕 押並べて壱人旅ニハ宿借不申様ニ相聞へ不届ニ候、自今以後不審成者にて無之候ハゞ壱人旅たりといふ共 一夜泊りハ宿可仕候 急用有之軽いたし往行可仕者もあまねく可有之候 道連も有之重キ旅人ゟ壱人旅人ハ一入心も添不自由ニ無之様可致事ニ候(古来入用書付留帳)
右の觸書きの意味は、「一人旅を泊めるとうるさいからといって、ろくに身元も調べずに宿泊を拒否しているように聞くがこれは不届きだ。今後は怪しい者でない限り、一人旅でも一晩限りの場合は泊めるようにせよ。道づれもあり身なりのしっかりしている者はもちろん一人旅の者まで、心をこめて不自由のないように扱え」というものである。