宿場と宿場の間にある茶屋を「立場茶屋」と呼び、宿場の入り口にある茶屋を「棒鼻の茶屋」と呼んだ。茶屋は旅人にとって欠かすことのできない休憩施設であった。茶屋にはわらじや薬、名物の食べ物などが売られたりして、旅人はつかの間の疲れを癒す場所であった。
立場茶屋は馬や駕籠の継立てをする所であり、旅人の休憩する場所でもあった。宿泊はできないので規模は総じて小さく間口はせいぜい三間から四間という。
木曽における立場茶屋の場所については、天保年間の大概帳では奈良井宿の平沢、藪原宿の鳥居峠、原野村の小沢、岩郷村の中平、上松宿の沓掛、同じく新茶屋同じく寝覚、荻原村の立町、長野村の平沢、三留野宿の中川原、同じく神戸、妻籠宿の一石栃、馬籠宿の新茶屋の一三箇所があげられている。馬籠宿新茶屋の立場茶屋については、「此宿ゟ落合宿迄之間立場壱ケ所 馬籠宿地内字新茶屋 但馬籠宿江拾九町参拾九間 落合宿江弐拾壱町弐拾壱間」とあり、わらび餅が名物であった。新茶屋の原銀太郎氏は生前「村境から落合宿に少し入った所に茶屋があったと聞いている。その場所には今も井戸の跡が残っている」と、いっていた。
また、十返舎一九の『木曽街道膝栗毛』に、"渋皮のむけし女は見えねども 栗のこわめしここの名物"の狂歌にあるように、十曲峠に名物栗強飯を売る茶屋が登場する。馬籠峠の熊野神社の入り口近くに住んでいた小林家は往時茶店を営んでいた(現在は島崎氏が住んでいる)。ここに「名物栗こわめし」と書いた看板が島崎家に伝え残されていたが、近年になって行方が分からなくなったという。