各宿場の高札場には、この宿から次の宿までの人馬賃銭の高札が必ず掲示してある。これは幕府が公定した賃銭で「お定賃銭」といった。本来はすべての旅行者が守るべき賃銭であったが、一般の賃銭より低廉で、御定賃銭で人馬が使用できることが特権となり、これも幕府役人の許可が必要となった。
享保八年の道中奉行所の書面には、御定賃銭で常時、人馬が使用できる者として京都御名代の大名・所司代・大坂御城代同御城番・御三家への上使・駿府御城代・二條大坂駿府在番・大坂駿府加番・遠国奉行并御用にて罷越候御役人・日光例幣使・公家衆御門跡方御使・大坂堺鉄砲并御火消・上州より麻穀灰・美濃御用紙・越前御用紙・御代官を挙げている(駅肝録)。
(表)お定賃銭
馬籠宿駄賃・人足賃調
天保14年6月の賃銭は、来る申年5月まで5か年の間駄賃及び人足賃共、お定賃銭の1割5分増の上3割増、都合4割5分増としている。
「中山道宿村大概帳」より
(表)御三家・三家家中・大名家中御定人馬賃銭使用人馬数
このなかに日光例幣使がある。日光例幣使は京都所司代の証文によって無賃人馬を使用することが出来るのだが、それには限度があり、限度以上必要な場合は、御定賃銭を使うことが出来た。