荷物付け人が乗り、合せて四〇貫目位までのもの。乗掛は人が乗るために葛籠(つづら)(「明荷(あけに)」という)を二個馬の背の両側にかけ、その上に蒲団(ふとん)を敷いて乗るのである。その荷のことを乗掛下とか乗尻といい、慶長七年に幕府の奉行衆が中山道の宿に下した駄賃定書には、乗尻は一駄一八貫目(六七・五キログラム)としていたが、天和二年(一六八二)に二〇貫までとした。ところが乗尻の上に着ける蒲団・跡付(客を乗せた馬の尻に付ける荷)・中敷・小付(こずけ)などは、乗尻一八貫目の中に含まれるかが問題になった。そして正徳三年(一七一三)九月、道中奉行により、乗尻一八貫目の外に跡付・中敷・小付等合せて二、三貫目まで許可されて以後の基準となり、文政五年(一八二二)の道中奉行の通達で、これが三、四貫目まで増しても差しつかえないことになった。人と乗尻など合わせて本馬と同じ四〇貫目ほどになり、駄賃も本馬と同じである。