目次
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第四章 近世
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第八節 交通と輸送
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五 姫通行
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1 宮姫の通行
五十宮(いそのみや)の下向
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五十宮は閑院宮直仁親王の王女で、倫子(ともこ)といい元文三年の誕生である。寛延二年(一七四九)一〇代将軍家治のもとへ輿入れして、明和八年(一七七一)三五歳で死去、法名「心観院」といい上野寛永寺に葬った。中山道を下向されたのは、寛延二年(一七四九)の三月で、大黒屋留帳には、「寛延三年巳三月五十宮様御通輿馬籠宿御止宿、人足二、五〇〇人、馬五百四〇疋、御迎御同勢様共馬籠御止宿」とある。