登美宮は有栖川宮熾仁親王の第四王女で吉(よし)子といった。登美宮は水戸藩主九代斉昭の簾中となられた方である。天保二年(一八三一)三月中山道を下向、同月二三日有栖川姫宮登美宮様落合御止宿(『大黒屋留帳』)水戸様之御輿入に付御下向の節として次のように記している。「行列に先立って長持二六棹、人足は伊那郡の助郷二七〇人、木曽一三〇人合せて四〇〇人、行列当日の人足は伊那助郷五三〇人、木曽二七〇人の計八〇〇人、ほかに臨時予備として山口村・湯舟沢村で五〇人を備えた。馬は伊那助郷三六疋、木曽下(しも)四宿で二〇疋、これで三月二一日から二五日まで五日間継立をした」。