馬籠から美濃路へ

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浪士隊は二七日朝、中津川に向けて出発した。馬籠宿の出発の早期先手は瀧平主水と中崎禎介で、騎馬で中津川宿脇本陣の森家に到り、本陣市岡家には武田耕雲斉、田丸左京らが到着した。ここで横田藤四郎は出迎えた市岡殷政、間秀矩両氏に、和田峠の戦いで戦死したわが子藤三郎元綱の首級の埋葬方を依頼した。両氏は後難があることを覚悟のうえでこれを承諾し、夜中密かに自家の墓所近くに葬った。この墓は、今中津川市実戸にある。偏平の楕円形の墓石で「横田元綱之墓」と刻まれ、その脇に大正五年四月に建立された「贈従五位横田元綱瘞首碑」の顕彰碑が建てられている。
 浪士隊は中津川宿で昼食をとった後、中山道をそのまま進んでその夜は大井宿に泊った。